【佳作】 わたしの周りの人権

玉井小学校 6年 鈴木 茉愛
 最近ニュースでよく耳にするのは悪いことばかりです。特に、殺人のニュースが多いように思われます。実際にわたしの身の周りで起きたらと思うとぞっとします。 
 「生きる権利」は、だれにも平等にあるはずです。それなのに、どうして傷つけたり傷つけられたりするのでしょうか。 
「だれでもいいからさしてみたかった。」 
 以前テレビで見た、通り魔の犯人は言ったそうです。「人をさしてはいけない」ましてや「人を殺してはいけない」こんなことは幼ち園生にだって分かります。それなのにどうして、ひさんなことを犯人はするのでしょうか。 
 それはきっと「相手の立場になって」考えていないからだと思います。何も悪いことをしていないのに急に殺された人、そして殺された人の家族や友達など、周りの人が悲しむだろうということくらい、だれだって考えれば分かる、当たり前のことなのに、とてもささいな理由でぎせいになっている人はたくさんいます。
 わたしが今こうして呼吸をしている間にも、世界のどこかの人達がぎせいになっていると思うと、とてもこわくなります。 
 だからこそわたしは、「相手の立場に立つ」ということについて考えます。ふだんじょう談程度に交わされている言葉の中にも、自分はふざけて言っているつもりでも、相手は傷ついている言葉があるかもしれません。だから、相手の気持ちを考え、言葉を選ばないといけないと思います。 
 顔を合わせて話す場合は、相手の表情も見えるので、少しは考えて言葉を選ぶことはできますが、電話やメールだと、相手の顔が見えないので、気づかないうちに相手を傷つける言葉を使ってしまうことが多くなるのではないでしょうか。 
 わたしは、通信できるゲームをやっています。学校の友達もやっているので、ある時、いつものようにやりとりをしていました。そしてわたしは、やりとりの流れでつい、きついじょう談を言ってしまいました。するとそれ以降、ずっと長いこと返信がなかったのです。わたしは不安になりました。相手を傷つけてしまったかな、と。 
 後から謝って、友達に聞いてみたのですが、わたしのじょう談のことは気にしていないと言っていました。でも、もしかすると、わたしに言えなかっただけで、本当は傷ついていたのかもしれません。気をつけたいと思いました。
 相手の立場に立てば、防げることはたくさんあります。けんか、いじめ。そして、犯罪や殺人。もしかしたら戦争だって防げるかもしれないのです。 
 わたしは進んで「相手の立場に立って」物事を考え、身の周りの人権を守っていきたいと思います。
このページの情報に関するお問い合わせ先
大玉村TEL:0243-48-3131FAX:0243-48-3137