【優秀賞】 “平和な世界”の実現のために

大玉中学校 2年 伊藤 結希乃
 今、世界は平和であるといえるのでしょうか。私は、いえないと思います。紛争や情勢の悪化による争いが、ニュース番組などで連日放送されています。そして、その争いによって、毎日多くの方が犠牲になっています。争いとは全く無関係な人々が傷つく世界は、平和だとは言えないと思います。日本もかつて、戦争をしていました。たくさんの方が亡くなり、戦争が残した爪痕はとても深いものだったと思います。しかし、日本は「もう戦争はしない」と決めて復興し、争いのない国に再生しました。日本のように、全ての国々が「戦争をしない」と誓い、争いが無くなって初めて、”平和な世界”が実現すると思います。
 私は、戦争の様子と人々の思いを知るため、祖母に話を聞きました。祖母の叔父は、戦争で亡くなりました。祖母の叔父は、レイテ沖海戦で戦艦武蔵に乗り、戦ったそうです。しかし、アメリカ軍の空からの激しい攻撃に手も足も出ず、沈んでしまいました。これはインターネットで調べて知ったことですが、武蔵は日本が建造した最後の戦艦で、世界最大級の大きさだったそうです。甲板の側面は厚さ四十センチメートルの鋼鉄でおおわれ、当時不沈船と呼ばれていました。しかし、攻撃を受けて速度が低下した武蔵は、ただの大きな標的にすぎませんでした。不沈船は、その力を十分に発揮することなく沈んでしまったそうです。
 出征の日、祖母の叔父は家族に最後の言葉を残して旅立ちました。
「武蔵がやられたら日本は負ける。もしも武蔵が沈んだら、米軍が攻めてくるかもしれないから、山の奥に逃げなさい。」 
 私はこれを聞いて、とても驚きました。武蔵が沈んでしまったら自分はしんでしまうかもしれません。私だったらきっと、恐怖で自分のことしか考えられないと思います。最後まで家族のことを気にかけていた祖母の叔父の優しさに胸がいっぱいになりました。
 祖母の叔父は、家族思いでもあり、部下思いでもあったそうです。祖母の叔父は、当時足をけがしていました。戦時、けがをしていたり病気にかかったりしていた人は、戦争に行く義務は無かったそうです。大切な家族を、戦争に行かせたくなかったのでしょうか。家族は、軍にけがをしていることを申し出てはどうかと勧めました。しかし、祖母の叔父は、「私には部下がいる。部下だけを戦場に行かせることはできない」と断り、けがをした足で戦場に行ったそうです。私は、部下を思う祖母の叔父に心打たれました。二十四歳という若さで亡くなった祖母の叔父の、優しさと威厳を強く感じました。
 沖縄県の摩文仁の丘という場所にある平和の礎には、戦没者の名前が刻まれています。その数は二十四万人を超えていて、祖母の叔父の名前も刻まれています。祖母の叔父を大切に思う家族がいたように、二十四万人それぞれに大切な家族がいたはずです。その家族は、どんな気持ちで兵士たちを戦場に送りだしたのでしょうか。大切な家族が、危険な戦場に行かなければならないなんて、私だったら考えられません。だから、戦争をにくむと思います。そして、この世界が平和だったら、こんな悲しいことをしなくてもいいのに、と思います。また、大切な家族が戦死したと知ったとき、どんな気持ちだったのでしょうか。きっと、この世に戦争がなければ、もつと一緒に暮らせたのに、と思ったのではないでしょうか。一緒に暮らすという、あたり前の日常を奪い去っていった戦争など、なくなってしまえばいいのに、と思ったのではないでしょうか。祖母は、話の最後にこんなことを教えてくれました。
「戦争は残酷なんだよ。みんなが、戦争のない平和な世界になってほしいって思っていたんだと思うよ。」
 戦争は、大切な家族や、あたり前に感じていた日常さえも奪う残酷なものです。大切な人を亡くした悲しみは、計り知れません。だから、こんな悲しみばかり生み出す戦争など、あってはならないのです。ですから、戦争を乗り越え、争いのない国を実現させた日本から、平和の尊さ、大切さを世界に広めることが必要だと思います。私は、祖母の叔父の話を忘れません。そして、その話を広めていきたいです。それが、“平和な世界”の実現のために少しでも役立つと信じて。
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