【佳作】 差別の目

大玉中学校 3年 渡邉 晴日
 差別と聞いて自分には関係ないと思う人はこの世界にいるのだろうか。自分と違うところや変わった行動をする人を見て、口には出さないけれど、その人のことをずっと見て、普通の人とは違う対応をしてしまうということがあると思います。
 これは実際に友達とコンビニエンスストアに行ったときに体験しました。足がわるくて走り方が少し異なった男性が入ってきました。私はその人にことをじろじろ見てしまいました。差別はいけないことだと分かっていても見てしまうというとんでもないことをしてしまい、とても自分に腹がたちました。それに、高校生くらいの人たちがその足の不自由な人を見て、笑いながらヒソヒソ話をしている光景を見てしまいました。足が不自由の男性にその光景が見られないか、話が聞こえないかとても不安になりました。その日から、私は障がい者や体のどこかが不自由な人とは会いたくないなと思いました。 
 障がい者の人たちは、このようなことをどう思っているのだろうかと考えてみました。私たちと同じように喜怒哀楽を感じながら、毎日を送っています。だからやはり辛い体験はすると思います。でも逆に、自分の不自由なところをスルーして普通に対応してもらうのも気を遣わせてしまっているのではないかと考える人もいるのではないかと考えました。考え方は人それぞれで、皆一緒ではありません。そこが難しいところです。 
 では、どのように対応するのが一番いいのだろうか。 
 人それぞれではあるだろうけど、体の不自由が理由でできないことを助けるというのはいいことだと思います。無意識のうちに見てしまうということはやってはならない。そこでなにを思うのかはわからないけれど、相手がいやな気持ちになることはやらないという、当たり前のことを忘れてはいけない。 
 もしかしたら、自分もどこか不自由になってしまう日がくるかもしれない。みんなこれにはあてはまると思います。そんな私たちが、体の不自由な人のことをバカにしたり、笑いものにしたりして許されるのだろうか。私たちが、普通に暮らしていけることを幸せだと思える人は心がきれいだなと思います。でも普通に生活していけるのに何か不満があり、今の状況に満足できない人がいると思います。私もそうですが、この普通に生活できる環境があるということを幸せなんだなと思えるように努力したいです。
 私は前に調べたことがあります。それは芸能人のネット批判についてです。そこで芸能人は「批判されるのを覚悟の上で生きている。」ということを知りました。辛い思いをするということを受け入れて生活しているのはとても強い心の持ち主だと感じました。もしかしたら障がい者や体の不自由な人もこのような思いをしているのではないかと考えました。どのように思っているかは分かりませんが、もしそうだとしたら、本当に強い人だと思いました。 
 このように、私たちより強いことがある方々を悪く見たりするのは、なんか情けないなと思いました。差別はいけないと分かっているならば、少しずつでいいから人権というものが一人一人にあるんだということを知っていけばいいだろう。そうすれば、少しは障がい者の方々や体の不自由な方々は生活しやすい世界ができると思います。 
 私は今まで辛いことや悲しいことがあると、誰かにやつあたりしたり、関係ない人を自分のせいで巻き込んだりしてしまうことがたくさんありました。さっき言った、どんなことも受けいれるという心の強さも生きていくためには必要なのではないかと思いました。 
 これまでに悲しい思いや辛い思いをさせたことがあるならば、それを反省材料にしてこれから生きていけばいいと思います。私はこれから、人の気持ちを考えて何事も受けいれられる気持ちをつくっていきたいです。そして、どこか不自由な人と会いたくないなんて言わない自分になりたいです。私が思うほど、障がい者や体の不自由な人は気にしないかもしれないけど、その光景を見ている人がいやな思いをします。悪口や差別の目はその人だけが苦しむことではないということを知ってほしいです。  
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