【佳作 】 おいしい福島 の野菜 を食 べる
二〇十一年 三月 十一日 の忘 れもしないあの日 、ぼくは小学 五年生 だった。今 では、少 しずつ当時 の記憶 はうすれ、地震 にも慣 れてきてしまっている毎日 だ。そして、今年 ぼくは中学 三年生 になった。まだまだ先 だとのんきに思 っていたのに、気 が付 けば、進路 に悩 む受験生 になってしまった。部活動 を引退 して、テレビを見 る機会 が増 えたが、最近 、有名 な人気 芸能人 が出 ている福島 の野菜 についてのテレビコマーシャルをよく目 にする。ぼくは、毎日 のようにそのコマーシャルを何気 なく目 にしているし、他 のコマーシャルと同 じような意識 で見 ていた。ところがある日 、一緒 にテレビを見 ていた母 が、
「この人 たちが、福島 の野菜 を応援 してくれていることは、本当 にうれしいね、ありがたいね。」
と言 った。ぼくは、はじめはただ単 に母 はその芸能人 が好 きだからミーハーな気持 ちでそう言 ったというくらいにしか思 っていなかった。だが、ニュースを見 ていて、ふとその時 の言葉 は簡単 な意味 あいではないことに気付 いた。
震災 から間 もないころは、放射能 の問題 がクローズアップされ、福島 県産 の農作物 に不安 を感 じていた。もちろん当時 はニュースが新聞 では大 きくとりあげられていたし、家族 の話題 にのぼることも多 かった。父 と母 は
「やっぱり子供 たちのためにも、県外産 のものを買 おう。」
などと言 って、なるべくぼくたちには県外産 の野菜 を食 べるように言 う。そして必 ず、
「生産者 の人 には申 し訳 ないけれど・・・」
と、つけ加 えるのだった。当時 はぼくも放射線 の影響 がこわかったということもあり、だまって父 と母 のいうことに従 っていた。ぼくの家 では祖父母 たちが、小 さな畑 を耕 している。家 で食 べる野菜 は祖父母 が作 ってくれたものをおいしく食 べていた。しかし、震災後 、祖父母 は一年間 、畑 を休 んだ。祖父母 は、作 った野菜 で生計 を立 てていたわけではなく、家族 で食 べる分 を作 る。いわば、家庭 菜園 のようなものだ。だから、一年間 畑 を耕 さなくてもいつも通 り生活 することはできた。当時 はまだ小学生 だったということもあり、ぼくと姉 は、父 と母 のいうとおりに、県外産 の野菜 を食 べていたし、祖父母 が畑 を休 んでも家族 にとってはさほど支障 を感 じることはなかった。今 考 えると、これが福島 の農家 の人々 にとってはとても大変 なことだったのだと気付 いた。放射線 の不安 は必 ず検査 をすることで払拭 することができるし、時間 はかかったがぼくたち、福島 県民 は少 しずつ県内産 の野菜 を食 べるようになった。祖父母 も畑 を再開 しておいしい野菜 を作 っている。ところがそういう毎日 を過 ごしていたぼくは、まだまだ、放射線 についての風評 被害 が根強 くあるということを忘 れていたのだ。ぼくは、母 にもう一度 あのコマーシャルを見 た時 に言 った言葉 の真意 を聞 いてみた。すると、母 は
「いやね、まだまだ福島 の農家 の人 が作 った野菜 は、県外 では誤解 をうけているところもあるそうだよ。農家 の仕事 で生計 を立 てている人 にとってはそういう風評 って本当 にやっかいで、生 きるか死 ぬかの問題 なんだよ。放射能 を心配 するのは分 かるけれど、難 しいね。でも自分 が農家 だったら本当 につらいよね。」
と話 し続 け、
「そんな状況 であの芸能人 グループが何 かと福島 を気 にかけてくれたり、コマーシャルに出 て福島 の野菜 を応援 してくれたりすることがうれしいよね。福島 県民 としてうれしいよね。」
と言 った。「風評 被害 」という言葉 すら、あまり聞 かれなくなってきた今日 、ぼくはすっかり忘 れていたような気 がする。ぼくたちはまだまだ風評 被害 という、目 に見 えないものにおびえているんだということを忘 れてはいけない。なんとなく日常 生活 にまぎれて、風評 被害 があることを忘 れてしまっていたが、母 の言葉 にははっとした。まだまだ福島 が差別的 に見 られている場面 があるということを母 は忘 れていないのだ。だからあのコマーシャルを見 たときに、
「うれしいね。」
という言葉 が無意識 に出 てきたんだと思 う。
今年 もまた、田 んぼの稲 が元気 に青々 と育 っている。テレビでは、またあのコマーシャルが「おいしいフクシマ」を応援 してくれている。ぼくは今年 もおいしく県内 野菜 を食 べる。そうして、少 しでも風評 に負 けず、がんばっている福島 の農家 を、ぼくは応援 していきたい。
「この
と
「やっぱり
などと
「
と、つけ
「いやね、まだまだ
と
「そんな
と
「うれしいね。」
という
